信州大学 自転車競技部

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〜全日本大学自転車競技大会@秋山

今年はコロナで前期の大会に一つも出られず、もともと8月からは公務員講座が大変になると分かっていたので、このまま2年の神宮、トラックの新人戦を引退試合とし、勉強に全力を注ごうと思っていた。しかしこのまま辞めるのもなんだか嫌だなとは思っていたし、7月の高校生の記録会に参加させてもらいようやくB基準を切れたので、練習時間をガッツリ確保することは難しいが全国大会に出るだけ出てみようと思い始めた。

9月はもともと3週間のインターン(?)に行く予定があり、その直後に個人戦があったので3週間自転車に乗らずに出るのはまずいのではと思ったが出るだけ出るかと思いポイントレースにエントリーをした。ところが信州大学でコロナが発生したということで参加禁止。インカレを10月に開催決定と聞いていたので練習を全くしていなかった自分としてはほーんとしか思うことができなかった。

話は逸れるがこの3週間のインターンで出来た友達、自分も最短の人は5日、最長でも15日という短期間でここまで仲良くなれるとは思っていなかったが、何人も大会見てたよ、だのがんばれ、だの応援してくれてとても嬉しかった。やっぱりこういう、高校までの友達や彼らのような自転車競技を知らない友達に応援してもらうと嬉しい。

インターンから帰ってくるとただでさえ消化しきれていなかった公務員講座が山のように溜まっていて毎日パソコンとにらめっこでいっぱいいっぱいの日々だった。こんなにパソコンを見続けた経験がなかったので知らなかったがパソコンを見続けるのは頭から肩にかけてめちゃくちゃ疲労が貯まる。睡眠時間をどれだけとっても疲れがぬける気がしなかったしずっと頭と首が痛かった。そんなこんなで自転車の練習時間をあまり確保できず、ちょこちょこ隙間に乗るようにはしていたがとてもインターバルなどの高強度練習をする状態ではなかった。練習時間を確保できないというのはやるべきことをうまくこなせていない=自分が悪いということだし、レースに出る以上誰もそんな言い訳を聞いてくれはしないと分かっているので今更練習量が足りなかったからあんな結果だったわぁとは言いたくない。むしろあの状況でできる限りの練習はしていたと20年間だらけ続けてきた自分にしてはよく頑張ったのではないかと思う。というか練習ガッツリしてバチバチに仕上げてても無理だわあれは。

練習量を確保できなかった要因には、大会3週間前にわけのわからん落車をし、なかなかの重症を負ったこともある。なぜあんななにもないところで転んだのか未だによくわからないが単に乗らなさ過ぎて乗り方を忘れていたのかもしれない(笑)。まあ笑い事ではなくて、左のstiは折れるしヘルメットは割れる、なかなか深めの擦過傷と変な転び方をしたが故の左手親指の痛みと、こりゃーもう終わったなと言う感じだった。擦過傷はどうにでもなるが親指は段差の振動とブレーキが痛すぎてロードに乗れなくなった。大会直前になり、もう痛いとか言ってられないと思いなんとかバンクに数回行ったが、練習しに行くというよりバンクに慣れに行くという感じになりそのまま大会を迎えることになった。

一日目は阿部のケイリンのサポートのみ。サポートが他に部員が来なかったのでなかなか大変だったが謎の助っ人が来てくれたのでとても助かった。阿部惜しかったなーあれは完全に勝ったと思った。

二日目バンクに着き自転車の準備をしはじめたが延長バルブの使い方がいまいちわからない。KO佐藤と阿部に手伝ってもらってなんとか準備をした。佐藤とは一日目に喋ってやる気も出してくれたし二日間とても助けられた。

阿部のハロンを見て、ちょこっとローラーを回してスクラッチがはじまった。フェンス側スタートじゃなくてよかった。一日目さぼって来なかった下村のホルダーもクソ怖かったがフェンス側だったらたぶん自分の位置につけなかった。レースがはじまり一番後ろに下がり前に上がらないようにする。何回か流れで前に上がってしまいそうになったがコワイコワイと思い後ろに下がる。そのままずっと最後尾で完走。競走種目にまともに出たことないから距離感わからんし怖かった。そんな感じでテンポレースは即ちぎれて終了。エリミネーションはローリングからクソ速くて前に上がるどころではなく真っ先に切られた。ポイントレースも行けるとこまでついて行こうとしたがあっさりちぎれ終了。またこいつ痛い痛い言ってるよと思われるだろうが事実3週間前の落車で痛めた親指は手袋をはめるのも痛かったしハンドルを握りこむのは無理だった。骨いってそう。ブレーキと振動がない分だいぶマシだったが。それと老害にやられた首もキツかった。前日の夜の寝方があまり良くなかったのか朝起きたら右後ろが痛くて振り向くのがキツイ。スクラッチだけ出て棄権しようかなと思ったがアドレナリンと我慢でなんとかなった。レースが終わり一晩寝てこれを書いている今酷いことになっている。動けん。

レースとしては全く加わっていないしずっと一番後ろにいたが、競走種目出たことないのにいきなりインカレオムニアムに出るとそりゃこうなるでしょという感じ。そりゃ前に出てみたかったし一種目くらいなんとかしてみたかったが経験不足練習不足でどうにもならなかった。そんなに全国大会は甘くなかった。キツかったし何もできなかったがレースに出るのは楽しいと改めて思った。

ロードは結局昇格できなかったしトラックも本当はチースプをやりたかったし、全国大会じゃなくて全然いいからケイリンもやってみたかった。自転車競技に未練がないわけではないがここで切り替えないと就職できなくなりもっと大きな後悔をすることになるのでひとまずこれで終わり。小、中、大、大と入試を受けてきたが次が最後の入試になるようがんばります。

最後に、割れたヘルメットの代わりを貸してくれた井上ありがとう。それと、今まで色々教えてくれた先輩方と阿部にも、ありがとうございました。自分がいちおう走ってみて、あんな世界で戦っていたんだなと思うと本当に尊敬します。ロードもトラックも教えていただいた分結果を残すことができなかったのは心残りですがこれで自転車競技は終わりにします。四年の最後に就職決まってたらなんか出ようかな。今まで部活をやったことがなかったので先輩方のおかげで部活というものを楽しめました。一緒に走って0から教えてくださりありがとうございました。

まだ競技続ける同期はがんばれ!